3月末をもって、2年半お世話になった楽天を退職しました。

ここしばらく考えてきたことを、自分のためにここに書き記しておきたいと思います。

振り返ると人生の転機は3つあり、今につながっている気がします。

「ハマる」ことで新しい世界が開けた

 

高校時代。幸運にも大学の附属高校に入ったことで、ほとんど勉強しないでも大学に行ける環境を手に入れました。このころちょうどWindows95が出て、BekkoameやBiglobeなどのインターネットサービスプロバイダーが生まれて、という時期だったこともあり、僕もその熱狂の虜になりました。

もう本当に学校の勉強をした記憶は試験前の数日しかなくて、それ以外の時間は目的も無しにとにかくコンピューター、インターネットと戯れていました。自宅の小さな部屋のコンピューターが世界中のデータベースにつながっている、世界中の人とつながっている、という痺れるような感覚がありました。(この興奮は今でもずっと続いてます。)

最初はNiftyServeのフォーラムを見たり、Webページをいろいろ見たりしていましたが、だんだんそれだけでは詰まらなくなって、当時好きだったNBAのReggie Millerという選手のファンページをWebでつくったり、アキバ通いをしてコンピューターを自作したり、PCにLinux (Slackware)を入れてサーバーを立てたりするようになりました。

そんなある日、学校の国語の授業で、自分の好きなことを何でも書いてエッセーに纏めなさいみたいな課題が出て、僕はLinuxの開発コミュニティーについて書くことにしたんです。Linus Torvals氏が個人でつくったOSに、インターネットを通じて、世界中のあらゆる場所から様々な人々が無償で開発貢献をして、Linuxという素晴らしいOSが作られている。その結果、SunやHPといったcorporationのプロダクトと比肩しうるようなところまできている。インターネットによって、人々の働き方、仕事の仕方、さらには暮らし方まで大きく変容していくのではないか、という内容だったと思います。

僕はとくに開発者コミュニティーに何か貢献をしていたわけではなく、ユーザーの立場でプラットフォームの進化というものを目撃し、それを作文にしただけなのですが、その後驚くべき事件が起きました。

その作文を気に入ってくれた国語の先生が、産経新聞と日野自動車の協賛するエッセーコンテストに応募してくれて、めでたく入賞することができたのです。副賞として、アメリカ西海岸を入賞者10名とともに、SFからLAまで縦断する旅が贈られたのですが、この旅は僕にとって大きな転機になりました。

日本に閉じこもっていた18年の後、はじめて外の世界に触れた新鮮さ。アメリカのクラスルームのカジュアルで活発な雰囲気。英語が話せず、十分に直接対話ができないもどかしさ。

様々な刺激を受けて、大学進学後はアメリカに交換留学で行きたいと考えるようになり、英語のガリ勉を始めました。自分の本能に従い、好きなことをとことん極めると、何か新しい道が自ずと開けてくるという原体験でした。

 

ソニーでの挫折

 

新卒ではソニーに入り管理部門に配属されたのですが、入社後4年で社内募集に応募し、ソニー・エリクソン(現ソニーモバイル)に転籍し、念願の携帯電話の商品企画に携わることになりました。

ハードウェア・ソフトウェア含めたユーザー・エクスペリエンスの企画や、商品をコンセプトからマーケット・インまで導くドライブ役を任せてもらい、本当に素晴らしい経験をしました。

一方、大きな挫折もしました。

本社があったスウェーデンに赴任して2年目、従来の携帯電話とは異なる、全く新しいコンセプトのプロダクトを任されました。この時幸運だったのは、単なる紙の企画書止まりではなく、デザイナー、開発者も巻き込み、プロトタイプのチームを作ることができたことです。僕はこのプロジェクトで目指していたビジョンに心から納得し、この後1年間、全てをこれに注ぎ、プロダクトを研ぎ澄ますことにフォーカスしました。プロトタイプも完成し、ビッグネームの会社との協業の話も進んでいました。

世の中に全く存在しない価値の仮説をつくり、そのビジョンに共感する少人数のチームによって、驚くべきスピードでプロダクトを作っていく、という擬似スタートアップのような体験だっと思います。

しかし残念ながら、その後会社の業績が芳しくなくなり、Marketabilityがクリアに見えないこのプロジェクトはある日終了となってしまいました。僕のキャリアで最も楽しく、辛く、学びの多かったプロジェクトでした。(今にして思うと、プロダクトに時間を費やしすぎで、もっと資本家であるトップマネジメントへの説明・啓蒙に時間を割くべきでした。)

このことをキッカケに、会社のリソースに頼るのではなく、いつか自分の力で、大きな仮説を世の中に問うことができるようになりたい、と思うようになりました。

この後、楽天に転職し、様々なプロダクトを任せて頂き、少しずつ実績を積んでいけたことで、自分でもできるのではないかという自信が芽生えてきました。

 

迷いを断ち切る

 

事業を興して自分の可能性を試してみたいという思いが強くなる一方で、正直迷いがありました。

一番大きな迷いは「失敗への不安」です。

イケてるチームとイケてるプランがあれば、ある程度成功確率はあげられるものの、絶対成功する起業っていうのは存在しないです。なので、安全圏に住み続ける「確率」を考えたら、賢くない選択になっちゃう。

そんな中、30歳をすぎたあたりから立て続けに祖母、祖父が亡くなりました。自分もいつかは死ぬんだ、という当たり前の事実を始めて実感し、少しずつ意識が変容していきました。

成功って何だ? と。

人より長生きすること?人よりお金をかせぐこと?ベストセラー小説を書くこと?

今まで成功というのは結果のことばかりだと思っていました。でも結果を突き詰めると、人生の結果は常に「死」。事業に成功しようと、ベストセラー作家になろうと、慈善事業に一生を捧げようと、結局リセットされてみんな土にかえるんですよね。身も蓋もないですが。

だとすると、どう自分の人生を生きたかというプロセスにこそ意味があり、過去でもなく未来でもなく今という瞬間を大切に考えるようになりました。

なんとなく違和感を感じながらも成功確率を追う人生よりも、結果はどうなるかは分からないけど、今、目の前のこの瞬間に100%の納得感を積み上げた人生こそ成功じゃないかなと。

一方リスクについても考えました。

真っ先に考えた一番大きなリスクは、事業が全て失敗し、露頭に迷い、衣食住に困るという事態。

そもそもしっかりした事業を興して最後まで全力を投じれば、たとえ失敗しても、セカンド・チャンス、サードチャンスのための資金を得るチャンスはあるかもしれないし、これまでの仕事で培ってきた信頼で何がしかの職を得ることもできるかもしれない、さらに日本で仕事が見つからなければ海外に飛んでもいい。最後は実家に帰ってもいいや。まぁ死にはせんわ、と。

深く考えていくと、本当に怖いのは、今まで貯めてきたものを「失う」ということなのだなと思いました。大した学歴もキャリアも無い僕ですが、時間の経過とともに、周りの評判とか、年収とかは積み上がっていき、失うものが増えていくのも感じていました。これはやばいなと。早く裸にならなければ、この「現実」から抜けだして、自分の思いに正直になる機会を失ってしまう、という焦りです。

時間が経過すればするほど、自分の感じるリスクは増えていく。リスクを最小限に抑えるためにも、早く動かなければならないと感じました。

 

これから

 

というわけで、3月末をもって会社を辞め、完全裸一貫のスタートとなりました!

思えば高校時代より、テクノロジーの世界に触れ、驚くべきスピードとスケールで人々の暮らしぶりを変わっていくのを間近で見てきました。

僕がインターネットの世界が好きなのは、同業、競合関係なく、みんなでこの世界をよくしていこうという、ある種idealisticな雰囲気によって、エコステムが出来上がっているところです。ウェブ系の会社の人同士の繋がりが強いのも、株式会社日本のインターネット、みたいなところがあるからだと思いましたし、シリコンバレーもそんな感じだと思います。

これまではそのコミュニティーが作りだす波に乗って、様々な心躍る体験をさせてもらいましたが、これからは、世界をさらに進化させていくようなコンスーマーサービスを作ることで、恩返しをしていきたいです。

よく会社はいつ登記するの?とか資金調達は?と聞かれるのですが、まずはユーザーに喜んでもらえるプロダクトづくりとチームづくりにフォーカスします。

今後半年程度をかけて、ひたすらプロダクトを作りつつ試行錯誤・悪戦苦闘していきたいと思います。サポートの程ぜひよろしくお願い致しますmm